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バリ島

バリ島は、東南アジアのインドネシア共和国バリ州に属する島である。首都ジャカルタがあるジャワ島のすぐ東側に位置し、 周辺の諸島とともに第一級地方自治体であるバリ州を構成する。2019年の島内人口は約436.2万人。 バリ・ヒンドゥーが根ざした地域として知られるが、1990年代以降、イスラム教徒の移民流入が目立つようになっている。

バリ島は環太平洋造山帯に属する小スンダ列島の西端に位置している。島の東にはロンボク海峡を挟んでロンボク島があり、 西にはバリ海峡を挟んで大スンダ列島に属するジャワ島がある。

バリ海峡のもっとも狭い所は3キロほどであり、バリの海岸からはジャワ島の姿形をとらえることができる。 このような地理的関係にあるバリ島は、広くはインド洋を中心にフィリピンから紅海までをつなぐ「1つの海」の周縁に位置し 、他の東南アジア地域と同様、古来より、この広大な海における交易を介した人と物、言葉と思想の移動、 交通の一地点となった。

そして、この交易を統制するとともに、人々の生活の小宇宙を形成する王国が誕生し、バリ島の「歴史」が紡がれ始める。

バリ島の面積は5,633km2。島の北部を東西に火山脈が走り、バリ・ヒンドゥーにおいて信仰の山とされるアグン山 やキンタマーニ高原で知られるバトゥール山など多くの火山を有している。バトゥール山近辺には温泉も湧出している。 この火山帯の活動により、バリ島の土壌はきわめて肥沃なものとなってきたと同時に、時に人々に災害をもたらしてきた。

そして、バリ島の南部では、火山脈に位置するブラタン湖などの湖水からの流れが下流域に向かって分岐している。 その分岐と水量は古来より計算通りに案配されてきたものであり、スバックと呼ばれる伝統的な水利組織 によって21世紀初頭までその自然環境とともに維持されている。そして、この水系によって 島の南側全体が緑にあふれる土地になっている。

これに対して北部では雨こそ少ないが、コプラやコーヒーが栽培され、牧畜も行われている。また、島の西部は、ほとんどが 深い森林に覆われた最高1,000メートル前後の丘陵地帯になっており、海岸沿いの漁村を除けば、ほとんど無人である。 今現在では一大観光地として発展しているバドゥン半島も乾燥地帯である。

したがって、バリの村落の大半は、一部の都市地域を除けば農村であり、土地の農業利用率がきわめて高い。 農業は水耕農作が中心であり、とりわけ、棚田で知られるバリ島中南部の斜面一帯では、上にみたように 年間を通じて安定した水の供給がなされ、二期作から三期作が可能となっている。ただし、 21世紀初頭では平野部を中心に急速に宅地化が進んでもいる。

ウブド

他方で、山側へ向かえば、山側のリゾート地域としてのバリ島の姿を見ることができる。その代表がウブドである。 この「芸術の村」はオランダ植民地時代から知られており、今日では、質の高いバリ舞踊やバリ・アート、バティック などの染色技術、竹製の製品など、伝統的な文化や民芸品の数々を目にすることができる。ウブド南部には、木彫の 村マスも栄えている。

こうした山あいの地域では、物質文明・近代文明のしがらみに疲れた西洋人や日本人が長期滞在しバリの文化を学んで 行くケースも多く、数か月から数年バリに滞在する者たちの中には、絵画、音楽、彫刻、ダンスなどを学び、さらには 独自の芸術的な活動を始める人々も見られる。ウブドには、ダルム・アグン寺院の位置するモンキーフォレストや、 ネカ美術館などの美術館も建てられている。

そして、バトゥール山のそびえるバリ中部の山岳地帯は、キンタマーニ高原、ブラタン湖、タンブリンガン湖や ジャティルウィの棚田など、バリ島の自然の骨格が表れた地域となっている。

気候

バリ島周辺はサバナ気候に属し、その季節は、北西季節風の吹く雨季。乾期の間は東部、北部を中心にたびたび水不足に陥る。 また雨季といっても、一日中雨が降る訳ではなく、実際には長くても一日に2 - 3時間のスコールである。ただし、 ひどいときには道路が30センチほど浸水することもある。

年間を通じて気温の変化はほとんどなく、年間の最低平均気温は約24度、最高平均気温は約31度、また、 平均湿度は約78%である。いつでも暑く湿度も高いが、体に感じる暑さは、海からの風によって和らげられている。

生態

バリ島の動植物のほとんどはアジアのほかの諸島から渡ってきたものであり、バリ島原産のものはまれで、 アジアに特徴的にみられる動物相、植物相が広がっている。

動物については、古くから、トラ、野牛、猿、キツツキ、パイソン、ヤモリなどが数多く棲息し、 300種類以上の鳥類が観察できるが、940年ごろにはバリトラが絶滅し、鳥類で唯一の原産種でありバリ州の州鳥であるカンムリシロムクもまた 近絶滅種となっている。さらには、近代農業の進展やリゾート地での殺虫剤の散布などによる生態系の変化も見られる。

バリで唯一の原野が残されている西部国立公園では、灰色の猿やリス、イグアナなどの野生生物が生息している。 また、バリの人々にとって馴染み深いのは、トッケイヤモリと呼ばれる大型のトカゲであり、鳴き声を 7回連続で聞くと幸福が訪れるという言い伝えがあるほか、害虫を捕食することから大切に扱われている。

植物では、ワリンギンと呼ばれるベンガルボダイジュがインド文化の影響から霊木として扱われ、香しいジュプンとともに 寺院や民家の庭などで広く見られる。また、バンブーも多く生息しており、儀礼の開始の合図として用いられるガムラン の笛の材料になっている。ほかには、多種多様のヤシが実っており、ココナツ、砂糖、燃料、繊維などが採出されている。

経済

芸能・芸術の島として知られ、かつ早くからビーチ・リゾートが開発されてきたバリは世界的な観光地となっており、 東南アジア各地のビーチ・リゾートのモデルとなっている。先進国の経済的価値を基準として比較すると物価水準 がかなり低廉であり、比較的若年層でも十分楽しめることも人気の一要素である。

訪れる観光客で一番多いのは、 かつては日本人であったが、現在はオーストラリア人である。したがって、バリ島の貨幣経済は観光収入 で成立するものとなっており、財政面でもバリ州の収入の3分の2が観光関連によるものとなっている。

バリ島は古くから農業中心であったが、バリ州の産業部門別就業人口の推移を見てみると、1971年には農林漁業が 66.7%、商業・飲食・ホテル・サービス業が18.8%であり、1980年でも農林漁業が50.7%、商業・飲食・ホテル・ サービス業が29.8%であったのが、2004年には農林漁業が35.3%にまで減少し、商業・飲食・ホテル・サービス業 が36.4%に達している。

農業

先に述べたようにバリ島経済の中心には農業が伝統的に位置してきた。世界的な観光地として成長した後 でもなお、30%以上が農林漁業に従事している。スハルト体制以来の観光開発が南部バリの一部地域で集中的 に行われたためである。水田耕作のほかには、ココナッツやコーヒーの栽培が盛んであり、樹園地ではバナナ、 オレンジ、マンゴーが、畑では大豆、サツマイモ、落花生、キャベツ、トマトなどが栽培されている。

観光業

既に見たように、バリ島の観光開発は、1969年のデンパサール国際空港の開港によってマス・ツーリズム 向けの大規模開発が始まり、当初は、サヌールとクタが観光の目玉となった。1980年代に入ると、 ヌサ・ドゥアで高級リゾート向けの計画的な開発が進められ、1990年代に入ると、開発の波はこれら の地域を越えるようになり、主にクタの南北に広がり、スミニャック、レギャン、ジンバランから タンジュン・ブノアに至るまで、沿岸部に広大な観光地帯が形成されるようになった。

スミニャックの北部には、タナロット寺院が位置している。サヌールやクタでは、爆弾テロ事件前後 から当局と現地社会による治安維持のための取り締まりが進み、屋台なども排除されるようになっている。

投資

観光およびその周辺産業に牽引される形で、バリ島への不動産投資・運用が盛んとなり、2000年から2012年の間 は年平均で20%程度の地価上昇が続いた。不動産投資家の7割はインドネシア国内の富裕層であり、残り3割 が海外投資家である。

生活

バリ島の地域社会では、バリ・ヒンドゥーに基づく独特な慣習様式に従った生活が営まれており、 オランダ植民地化以後も近代行政と併存するかたちで続いている。21世紀に入ってもなお、 バンジャールやデサと呼ばれる地域コミュニティをベースとして、さまざまな労働作業や宗教儀礼が共同で執り行われており、 バンジャールからの追放は「死」に等しいとまでされているほどである。

また、バリの人々は、特定の目的ごとに「スカ」ないし「スカハ」と呼ばれるグループを形成して対応することが多い。 たとえば、ガムラン演奏団、青年団、舞踊団、自警団、合唱団といった具合に、スカはときにバンジャールを超えて形成され、 多くはバンジャールと異なり加入・脱退が自由である。こうしたありようをギアツは「多元的集団性」と呼んでいる。

このスカの組織化パターンのために、バリの村落社会構造に、極めて集合的でありながらも奇妙なまでに複雑で柔軟な パターンが生まれている。バリの人々が何かをする場合、それがひどく単純な作業であっても、集団を作る。実際のところ、 この集団には、マーガレット・ミードとグレゴリー・ベイトソンが指摘したように、ほとんど常に技術的に必要な数を 遥かに上回る人員が集まる。

交通

バリ島の玄関口であるイ・グスティ・ングラ・ライ国際空港が島南部に位置しており、ジャカルタ、成田、シンガポール、 シドニー、ロンドンなどの各地と航空路が結ばれている。開港当時は国策によりバリ島への直行便がなかったが、 やがて解禁され、多くの観光客はこの直行便やジャカルタ経由便を利用するようになった。またインドネシアの島々 を結ぶ国内線フライトの便数も多い。

海路については、ジャワ島、ロンボク島、レンボンガン島ほかインドネシアの各島とフェリーで接続されており、 便数も多い。インドネシア東部諸島へは長距離航路の船も運航されている。

島内交通

島内には鉄道が走っていないため、ほとんどの移動は自動車を用いることになる。 バリ島の道路事情については、まず、 ほぼ海岸に沿って主要地域を結びながら1周する道路がある。 内陸部では、特に島の大部を占める南斜面の河川が南北に深く谷を刻んでいるため、それにしたがって 道路が南北に走っているが、東西に走る道路はあまりない。

村と村を結ぶ道路や、村内の各地域を結ぶ道路 はほぼ舗装されており、自動車の通行に問題はない。なお、デンパサールにはアジアハイウェイ2号線の起点 があり、海路でジャワ島方面に至る。

中産階級以下の現地住民の主たる交通手段は、オートバイやベモである。また、オジェと呼ばれるバイク・タクシー や、ドッカルと呼ばれるポニーの馬車も一部地域では見られる。 長距離移動にはバスの利用される。

治安

欧米やオーストラリアと比べてもバリ島の治安は良好であるが、観光地では観光客を狙った犯罪が数多く発生しており、 おもにクタ、レギャンの海辺のバーなどでの詐欺をはじめとして、一般観光客の金を狙った盗みや詐欺が後を絶たない。 おもな手口は、いかさま賭博、パンク強盗、ひったくり、強引な物売り、麻薬および禁制品の販売などである。

バリ島では犯罪事件が多く発生している。これらの加害者は、バリ島の観光客を狙った、出稼ぎ労働者が大多数を占めている。 観光客のお金の価値観の違いによる金回りの良さが関係している。

こうした問題に対して、1999年以降の分権化を背景として、バリ州政府も観光収入を確保するため、 地域社会と警察の連携を進めるなど、治安の維持に力を入れている。とりわけ、慣習村 の自警団がバリ州条例によって法的正統性が付され、警察との連携が進められている。

島内にはクロボカン刑務所がある。定員の3倍もの受刑者が収監される劣悪な環境にあるため、しばしば受刑者 らによる暴動が発生する。2012年2月の暴動では、受刑者らが刑務所を占拠し、刑務官が撤退を余儀なくされる騒ぎとなった。

宗教

「神々の島」とも形容されるバリ島では、人々のおよそ90%が、バリ土着の信仰とインド仏教やヒンドゥー教の習合 によって成り立つバリ・ヒンドゥーと呼ばれる信仰を奉じている。バリの慣習村では、 土地や祖先神への信仰が生きており、人々はデサ・アダットの土地を清浄に保ち、穢れを避ける義務を負っている。

このために、古くからの慣習もかなり色濃く残されており、店や家の前には毎朝チャナンと呼ばれる お供え物をするなど、宗教的な活動に多くの時間が使われ、したがって、バリ島では毎日、島のどこかで祭り が行われているのである。

バリ人は祭りごとが大好きであるとの話がよく耳にされるが、バリ人にとっての お祭りとはあくまで以上のような宗教的な儀式なのである。こうした背景から、バリ人は非常に 精神的に満足した者が多いといわれる。

また、バリ・ヒンドゥーの世界観は方角によっても支えられている。とりわけ重要なのが「カジャ」(山側)と 「クロッド」(海側)の組み合わせである。カジャとクロッドの対比は、上と下、優と劣、清浄と不浄 といった象徴的価値観と密接につながっており、寺院の位置や葬儀の場所、屋敷の構造などが、 この対比に従って決められている。また、この秩序観から、人の頭を触ったり頭の上に手をかざすことや、 左手で金銭を扱ったり食事をすることがタブーとされてい。

このようにバリ島はバリ・ヒンドゥーのコスモロジーに根ざした世界が広がっているが、1990年代以降、 ジャワ島を中心として数多くの人々が、観光産業での労働従事を目的として移り住み始めるようになっており、 イスラム教徒が急増している。

言語

伝統的な言語としてバリ語が存在し、多くの人々はバリ語を用いてきたが、公式的にはインドネシアの公用語である インドネシア語が用いられたり、学校教育や主要マス・メディアもインドネシア語が利用されている。 都市部ではインドネシア語を主として用いる層も増えている。

文化

先に見たように島南部を中心として土地が肥沃であったことから、昔からバリの人々は余裕を持った生活を送ることができた。 そこで、農民は朝夕それぞれ2、3時間働くと、その日の残りは絵画、彫刻、音楽、ダンスなどの創作活動に当てるなど、 美術・芸術活動にも勤しんでいた。

バリの美術には、古くからのインド的性格が残存しており、時代が新しくなるにつれ、バリ島独自の土着的な性格が 強くなっていく。インド色の濃い遺品として、例えば、ペジュン出土の粘土製の奉納板にはインドの パーラ朝美術を思わせる仏教尊像が描かれている。さらにインド・ヒンドゥーの石彫であるドゥルガー像が傑作として挙げられる。

ただし、今日のバリで見られる、とりわけ観光客向けの芸能・美術のほとんどは、1920年代以降のオランダ植民地時代 以降の歴史のなかでバリを訪れた欧米人との共同作業によって構築されたものである。 スハルト政権崩壊後は、インドネシアの各諸島では政治の地方分権化が進んでいる

舞踊・音楽

バリ島の祭礼や儀礼には、必ず舞踊が伴う。そうした舞踏・音楽芸能についていえば、舞踊芸術のケチャやレゴン、 バロン・ダンス、憑依舞踊のサンヒャン・ドゥダリ、そして、これらの伴奏にも使われるガムランやジュゴグ がよく知られている。これらは、確かに元来は共同体の宗教儀礼として行われてきたものであるが、 実際に観光客に見せているのは、共同体の祭祀からは切り離され観光用に仕組まれたレパートリーである。

その成立過程を見てみると、オランダ植民統治時代に当時の中心地シガラジャでクビヤールと呼ばれる舞踊 ・音楽・ガムラン編成が生まれている。そして、1920年代後半に観光客を運ぶ運転手を通じて瞬く間に南部 にも広がり、観光のための創作活動が盛んになり、こうして舞踊芸術が宗教的文脈から切り離されていったのである。

たとえば、バロンとランダの戦いをモチーフとしたチャロナラン劇は、そもそもは宗教儀礼として19世紀末に成立 したものであるが、トランス状態に陥った男性がクリスで胸を突くといった場面が見られる21世紀現在の演劇性 に富んだ形態は、1930年代前後に「観光客に分かりやすく見せるために」成立し島内に広まったものである。

タリ・ワリは共同体の宗教儀式そのもの、または儀式を完結するものとして機能する舞踊。「ワリ」は「捧げ物」ないし 「供物」を意味する。ルジャン、ペンデット、サンギャン、バリス・グデなどが含まれる。

タリ・ブバリはワリに比べて儀式性、限定性は弱いが、宗教儀式の伴奏あるいは奉納芸として機能する。トペン、ガンプーなど。

タリ・バリ=バリアンは「見せ物」を意味し、観賞用、娯楽用に作られたものを指す。クビヤール・スタイルのもの はこれに属する。

影絵芝居

影絵芝居は、バリの人々にとって、時空を超えた知識と教養の源泉である。すなわち、 芸能としてワヤンは、それを鑑賞する人間の意識の底に次第に堆積されていく、潜在的な価値の体系なのである 。ワヤンのストーリーは、おもに古代インドの叙事詩である『ラーマーヤナ』、『マハーバーラタ』であり、 人形使いのダランは、サンスクリットの知識を有した特別な僧侶であるプダンダが務める。また1990年代後半ごろから、 ワヤン・チェン・ブロンと呼ばれる娯楽化したワヤンが若者の支持を集めるようになり、伝統的なワヤンは衰退の一途を たどっている。

工芸

バリ島の伝統工芸の起原は、火葬などの宗教儀礼時の供物にある。したがって、いかに精緻に作られていようとも、 強度に対する関心は低い。木彫りについては、装飾工芸として、扉や柱などの建築物、彫像、小物、演劇の仮面など で日常的に利用されてきたが、今日の動物の愛らしい彫像はやはり「バリ島ルネッサンス」の時代に生まれたものである。

布地では、シーツやタオルなど幅広く用いられるサロン、織物では「ジャワ更」とも呼ばれるバティックがよく知られている。 ほかには、チュルク村の銀細工も歴史的によく知られている。しかし、工芸品の製作者たちのほとんどは自らの創造性を 生かした創作活動に励んでいる訳ではなく、その作品は値切って買いたたかれるような代物になっている。

バリ絵画

色彩豊かで緻密な描写が特徴であるバリ絵画の原点は、16世紀後半のマジャパヒト王国時代のころとされ、 王宮向けの装飾絵画として発展し、『ラーマーヤナ』、『マハーバーラタ』やヒンドゥーの多神教の神々など が題材とされてきた。当時から伝わるバリ絵画の技法はカマサン・スタイルと呼ばれ、基本的には5色 を使用し遠近法を用いず平面的に描かれることが多い。特にカマサン村では、伝統的な技法の継承に加え、新しい感性を加味し 発展させている。

スポーツ

バリ島は、これら島南部の海岸を舞台としたサーフィンの名所となっており、乾季・雨季を問わず良質な波 を求めて世界各国からサーファーが訪れている。サーフポイントも多く波質もさまざまである。最近では サーフィンで生計を立てている者も多く、サーフショップやサーフガイド、またはサーフィン関連の スポンサーから収入を得ているプロサーファーも多い。