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ブータン

ブータン王国、通称ブータンは、南アジアに位置する立憲君主制国家。 北は中国、東西南はインドと国境を接する。国教は仏教。民族はチベット系8割、ネパール系2割。公用語 はゾンカ語。首都はティンプー。

国旗はその模様が複雑で、竜のうろこが細かく描かれている。国花はメコノプシス=ホリドゥラ、国樹はイトスギ、国獣は ターキン、国鳥はワタリガラス、国蝶はブータンシボリアゲハ。 長年鎖国政策をとっていたが、1971年に国際連合加盟。翌年に国民総幸福量という功利主義を採用した。

インドとは東をアルナーチャル・プラデーシュ州と、西をシッキム州と、南を西ベンガル州とアッサム州で接しており、その 国境線は605kmに達する。また、北の国境線470kmは中華人民共和国のチベット自治区と接している。中華人民共和国との国境の大部分は ヒマラヤ山脈の上を走っており、国境線が確定していない部分が多く、国境画定交渉が現在も進められている。

ヒマラヤ山脈南麓に位置し、ブータン最高峰は標高7,561mガンカー・プンスム。国土は、南部の標高100mから、北部の 標高7,561mまで、7,400m以上の高低差がある。

気候は、標高3,000m以上の北部ヒマラヤ山脈の高山・ツンドラ気候、標高1,200mから3,000mの中部のモンスーン気候、 標高1,200m未満の南部タライ平原の亜熱帯性気候が並存する。

殺生を禁じている宗教上の理由と、資源保護の観点から、川で魚を取る事を禁じており、食用の魚は川の下流にあたる インドからの輸入に頼っている。

ブータン国内に鉄道は通っていない。地方には悪路が多く、自動車事故は衝突事故よりも崖下への転落事故が多い。 転落事故に関しては、シートベルトを着用しているほうが 救命率が低くなるという考えから、着用は法で強制されておらず、民間では着用を勧めていない。

政治

ジェ・ケンポが宗教界の長を、デジが政治・行政の長を務めるというチョエン制度が、1907年に世襲王政が 成立するまで約300年間維持された。1907年のワンチュク朝成立以降、 国王を中心とする絶対君主制だったが、近年の四代国王主導の政治改革により議会制民主主義への移行準備を開始、 代替わり後の2008年に憲法が公布され、民選首相が 選出されるなど立憲君主制に移行した。国会は国王不信任決議の権限を持ち、国王65歳定年制が採用されている。

立法

1953年に第3代国王により設置された国民議会と、2008年新憲法により新設された国家評議会 による両院制である。2008年7月の新憲法制定までは議席数約150の一院制国会であった。 旧国民議会の議員は、一般選挙を経た国民代表106名・仏教界代表10名・政府代表34名で構成され、任期は3年、再選、 再任が認められていた。

現在の国民議会は、普通選挙・単純小選挙区制により選出される47人の議員で構成される。一方の国家評議会は、 国内20県から各県1人ずつ普選で選出される20人と国王が任命 する有識者5人の計25人で構成される。両院とも議員の任期は5年だが、国民議会は解散の可能性もある。

行政

1968年から採用された省制度により、2005年現在、農務省、保健省、教育省、通信情報省、建設省、財務省、内務省、 貿易産業省、エネルギー水資源省、外務省の10省がある。1964年の首相暗殺以来、首相職は再設置されていなかったが、 1998年に大臣が輪番制で内閣の議長を務める形式の閣僚評議会議長職が設置された。

2008年の新憲法制定に伴い 、立法と行政の関係では議院内閣制が導入され、下院に相当する国民議会で多数を獲得した政党の党首が首相となる。 2008年3月24日の国民議会選挙の結果、第1党となったDPTの党首ジグメ・ティンレーが同年4月9日に初の民選首相に任命された。

軍事

志願制の陸軍であり、総兵力は約1万人。軍事費がGDPに占める割合は約2パーセント程度で、 約1,700万ドル。

陸軍の装備品は迫撃砲や分隊支援火器等の小火器のみである。砲兵戦力および機甲戦力は有さず、装甲兵員輸送車も一部の 部隊に若干数が配備されるにとどまる。小火器は、84ミリ迫撃砲、AK-101、FN FAL、H&K G3、FN ブローニング・ ハイパワーの装備が確認されている。

内陸国ゆえに海軍は存在せず、大きな河川も無いため河川軍も編成していない。空軍も存在せず、防空はインド軍に 一任している。ブータン軍が保有している航空機はヘリコプターMi-8(7機)と固定翼機のドルニエ 228(1機)のみである。 また、世界軍事力ランキングではブータンは最下位となっている

国内にインドの軍事顧問団と陸軍部隊が1000~1500人駐留している。また、インド政府はブータン軍人のインド留学 を随時受け入れている。

2003年、ブータン軍はアッサム独立運動に参加するインド系ゲリラ集団3,000名と交戦。インド軍と連携し、ブータン軍 の「大元帥」である第四代国王自ら前線で指揮を執り、国内の拠点をほぼ壊滅させている。

国際関係

非同盟中立政策をとり、国際連合安全保障理事会常任理事国のいずれとも外交関係を持っていない。2016年の時点で52カ国、 そして欧州連合との間に外交関係を有している。 域内外交関係に注力し、南アジア地域協力連合の原加盟国であり、アジア協力対話や多面的技術経済協力のための ベンガル湾構想に参加している。1971年には国際連合に加盟している。

中国との関係

2016年時点において国交は樹立していないが、事実上の領事館が香港とマカオにある。1971年にアルバニア決議に 賛成しているように一つの中国政策の支持を明言しており、中華民国(台湾)とも国交を持っていない。 1974年には中国政府の代表がジグミ・シンゲ・ワンチュク国王の戴冠式に 出席した。1984年から定期的な協議を行い、ブータンの外務大臣 も中国を度々訪問しており、1998年に中国とブータンは国境地帯の平和安定維持協定を締結している。

北部から西部にかけてのガサ・ティンプー・パロ・ハの4県で中華人民共和国と接し、帯状の係争地がある。 ドクラム高原は紛争地の最南端に位置する。1990年代以降、中国が係争地の内部に道路、基地の建設をすすめるなどの形 で紛争が顕在化。

2000年代に入り、ブータン領域内において中国が道路建設を行い、軍及び民間人の越境行為が行われたことから、ブータン政府が抗議を行っている。 中国の越境行為は冬虫夏草の採集がその一因と見られている。ブータン政府は協定の遵守を求め、折衝を行っている。 その後は中国との関係は良好である。

インドとの関係

英領インドとの条約に、「内政は不干渉、外交には助言を与える」という文言が存在し、1949年のインド・ブータン条約 にその文言が継承され、多額の補助金がブータンに付与されていたため、インドの保護国的な印象を受ける。

しかし、公的には1907年をもって国家成立としている。また、2007年3月の条約改定で、「外交への助言」についての文言が 「相互協力関係の維持及び拡大」をうたうものに差し替えられるなど、現状に合わせた新たな規定が定められた。

ブータンとインドは相互の国民が、お互いの国を観光するときにビザ等必要なく、身分証明書のみでよい。また、 ブータン国民がインド国内で就労する際に法的規制はない。

領土問題

北部が中国の領土にされる前のブータン。北部が北側に出ている。2006年より前の国境 北部が中国の領土にされた後のブータン。2006年の新国境線 国土面積は、従来約46,500km2であったが、2006年に発表した新国境線では、北部の多くが中国領と主張されているため、 約38,400km2にまで減少した。国境線をめぐる問題が長期化している。

経済

IMFの統計によると、ブータンの2020年のGDPは25億ドルであり、日本の人口6万人程度の市町村に相当する経済規模である。 同年の一人当たりのGDPは3359ドルであり、世界平均と比較すると 大幅に低い水準である。

2011年にアジア開発銀行が公表した資料によると、1日2ドル未満で暮らす貧困層は17万人と 推定されており、国民のおよそ25%を占めている。国際連合による基準に基づき 、後発開発途上国に分類されている。

主要産業はGDPの約35%を占める農業だが、最大の輸出商品は電力である。国土がヒマラヤの 斜面にあることをいかし、豊富な水力による発電を行い、インドに電力を売却 することにより外貨を得ている。輸出品は電力、珪素鉄、非鉄金属、金属製品、セメントなどで、輸入品は高速ディーゼル、 ポリマー、石油、米など。2007年統計では貿易総額は輸出入合わせて約10億 ドルで貿易収支は若干黒字。なお、2007年の一人あたりGNIは1,800ドル、経済成長率は19%であった。

観光業は有望だが、文化・自然保護の観点からハイエンドに特化した観光政策を進めており、フォーシーズンズなどの 高級ホテルの誘致に成功した。外国人観光客の入国は制限されており、バックパッカーとしての入国は原則として不可能。

インドとの関係が深い。 世界幸福度ランキングで最上位にある。

農業

ブータン経済において農業は非常に重要な基幹産業である。1990年時点では労働人口の9割が自給的な農業、もしくは放牧業 に従事していた。これらの農民の多くは国民経済計算の対象となる貨幣経済 に属していなかったため、ブータン経済は実態よりも小さくみえる。

国内総生産においても農業部門が43%(1991年)を占めていた。平原であるわずかな低地部ではコメが、国土の50%を超える山岳部 では果樹などが栽培されている。

ブータン農業は自家消費が目的であり、自給率はほぼ100%だった。例外は輸出が可能な果樹、 原木、キノコ類である。マツタケは国内で食べる習慣が無かったが、 1990年代からは日本向けに輸出されている。

ブータン農業の問題点は生産能力が向上しないことにある。人口が増え続けているにも関わらず、労働人口に占める 農業従事者の割合は高い数値で横ばいに推移しており、農民の数は増え続けている 。一方、厳しい地形に阻まれて農地の拡大は望めない。小規模な農地が大半を占めるため、土地生産性も改善されない。 このため、1986年・1987年時点と、2003年・2005年時点を比較すると、 農民が倍加しているにも関わらず、生産量がかえって微減している。

具体的には、1986年時点の国土に占める農地の比率が2.2%、牧草地4.6%、森林70.1%だったものが、2003年に至ると、 同2.7%、同8.8%、同68.0%に変化している。農地は約2割拡大した。 主食のコメの収穫量は年々減ってきている。牛の頭数も下がってきている。

国民

ドゥクパは、ガロン、ブムタンパ、ツァンラの3つに分けられる。南部低地地帯には 、ネパール系ローツァンパが居住している。 その他、北部や南部には独自の文化を持つ少数 民族の存在が確認されている。

言語

公式には、チベット語系のゾンカ語が公用語である他、ネパール語と英語も広く使われている。その他、ツァンラカ語、 シッキム語、ザラ語、リンブー語、ケン語、バンタワ語等が話されている。

宗教

3つの宗教集団に大別される。

チベット仏教を信仰しゾンカ語を主要言語とし、西部に居住するチベット系のガロン と呼ばれる人々。チベット仏教を信仰しツァンラ語を母語とし、東部に居住するアッサム地方を 出自とするツァンラと呼ばれる人々。

ヒンドゥー教徒でネパール語を話し、南部に居住するローツァンパと呼ばれるネパール系住民。 その多くは20世紀初頭に移住して来た人々で、1990年代には10万人以上が不法移民、反国民として国外追放された。

南部問題

ネパール系の住民との問題を起こしている。 ネパール系の住民の国籍をはく奪したり、自民族の風習を強要したりして反発を受けている。 弾圧のために拷問を行ったといわれている。 国王が解決に向けて奔走している。

人名

ブータンにおいては、氏は「家の名」ではなく個人それぞれに名付けられる。婚姻によって改姓することもなく夫婦別姓。

教育

ブータンの大学はタシガン県にある王立ブータン大学が唯一の大学である。

煙草規制

ブータンでは1792年から煙草を取り締まる法律が存在した。理由は国民の大半が信仰する仏教上のものである。 1999年まではTVも禁止されていた。2004年12月より、環境保護及び仏教教義的な背景から世界初の禁煙国家となり、 煙草の販売、製造、流通が禁止された。しかし、 200%の関税が課されるが、国外からの一定量の輸入は許されたため、隣国インドからの輸入で闇市場が繁盛した。 コロナパンデミックの時は、一時的に販売を許可したりして、闇価格の暴騰を抑えたりしている。

文化

ブータンは、気候・植生が日本とよく似ている上に、仏教文化の背景も持ち合わせており、日本人の郷愁を誘う場合も多い。 これはモンスーン気候に代表される照葉樹林地帯に属しているためで、一帯では類似の文化的特徴をみいだすことができる。

食文化

食文化においては、ブータンの主食は米。トウガラシの常食と乳製品の多用という独自の面を有しつつ、ブータンで広く 食される赤米たるブータン赤米を中心に、パロ米、プタの栽培、リビイッパ、酒文化などの日本人の琴線に触れる習慣も多い。 また、伝統工芸においては漆器や織物などの類似点もある。

生活

男性の民族衣装がチベット系統であるのに対して、女性の民族衣装「キラ」は巻き衣の形式を取り、 インド・アッサム色が濃い。北から流入したチベット系文化と元来存在した照葉樹林文化が混在しているといえる。

スポーツ

ブータンには国技の「ダツェ」と呼ばれる弓術があるが、他のアジア諸国同様にサッカーが圧倒的に1番人気の スポーツとなっており、特に2000年代よりケーブルテレビの普及によって 爆発的に人気を獲得した。

さらに2012年には、プロサッカーリーグのブータン・プレミアリーグも 創設された。ブータンサッカー連盟によって構成される サッカーブータン代表は、首都・ティンプーにあるチャンリミタン・スタジアムをホームスタジアムとしている。