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セブ島

セブ島は、フィリピン中部のビサヤ諸島にある島で、南北に225kmにわたって伸びる細長くて大きな島である。 面積は4422km2。周囲はマクタン島、バンタヤン島、マラパスカ島、オランゴ島など小さな島々に囲まれている。

東にカモテス海とカモテス諸島をはさんでレイテ島、ボホール海峡を挟んでボホール島、西にタノン海峡を 挟んでネグロス島、南にシキホル島、北にビサヤン海を臨む。

全島とその属島がセブ州で、島の東海岸中央部にある人口72万の州都セブ、マンダウエ市をはじめ6つの都市があり 、マニラ首都圏に次ぐ大都市圏、メトロ・セブを形成している。

州全体の人口は3,356,137人(2000年調査)で、うち300万人がセ ブ島に住んでいる。ほとんどの人はセブアノ語を話し、これはビサヤ諸島の共通言語になっている。

マクタン島は風光明媚で風通しがよく、いわゆるセブ・リゾートはここマクタン島を指す場合が多く 、外国からの移住者も多い。1521年のマゼラン上陸 でスペイン統治の開始とともに、フィリピンを世界史の表舞台へと導くきっかけとなった。

統治者らは宗教、食文化をはじめとする生活スタイルや 建築様式に至るまで大きな影響を及ぼし、フィリピン全土へ浸透させていった。

セブ市は最初にスペインによる植民地化がされた植民都市でありその 名残である建造物や史跡が随所に残る。また、昔ながらの大きな市場カルボンマーケットがあるほか、観光客 相手の巨大ショッピング・モールやリゾートホテルがセブ市やマクタン島に多数ある。

セブ本島は長細い島で、両脇を海峡に囲まれている。島の中部の東海岸に接する小さな島がリゾート地・マクタン島 であり、国際空港や経済特区、ホテル、ショッピングセンターがある一方美しい浜辺やダイビングスポットもある。

島の北側にバンタヤン島、ダアンバンタヤン島 がある。その他無数の小さな美しい島に囲まれ、そのうちオランゴ環礁などの無人島は冒険を求める観光客の目的地になっている。

セブ島は大理石の高原地帯と海岸部の平野に分かれ、典型的な熱帯の島の風景をなしている。また、うねる丘の群れ と険しい山脈が島を南北に縦断している。山々は高さ1,000mに達するが、これらを覆う森は不十分である。大きな平地は島の北部やセブ市周辺に見られる。

より観光客や工業投資を誘致するため、州政府はインフラ整備に余念がない。特にマクタン島はセブ島とマクタン・マンダウエ橋 とマルセロ・フェルナン橋の2つの橋でつながっているが、これらの使い勝手の悪さから、更に3本目の橋を掛けるかまたは海底トンネルを作るかで議論 が起こっている。ただしどちらも財政的な裏づけは不十分である。

交通

セブ島の空の玄関は隣島のマクタン島のラプ=ラプ市にあるマクタン・セブ国際空港で、フィリピン航空が 成田,関西,中部の3空港へ就航している。国内からは、マニラ港から複数のフェリー航路が設定されている。

2018年現在、日本の外務省はフィリピンにおいて殺人、傷害・暴行、強盗、婦女暴行といった凶悪事件に遭遇 する可能性が高い場所として、マニラ首都圏と並んでセブ島を指摘している。

また、2007年、2018年には 強盗以外の目的と思われる日本人への銃撃事件が発生しているほか、2015年には中国人外交官を標的とした 銃撃事件も発生している。

住民

セブの住民はセブアノ と呼ばれ、ビサヤ人、中国人、スペイン人、ネグリト人の混血の子孫である。 スペイン系や出身地ごとの中国系はコミュニティを作り、セブの経済で重要な役割を果たしている。セブアノの文化 はゆったりしており、人々は親しみやすい。

言語

セブの地元の言語はセブアノ語 で、ビサヤ諸島やミンダナオ島の大部分で共通語 の役割も果たしている。セブアノ語の話者は2千万人にのぼり、セブ島、ボホール島、レイテ島西部、 ネグロス島のネグロス・オリエンタル州、ミンダナオ島の北部や東部ほか大きな町で話されている。

多くの方言があるが、その差は小さい。またヒリガイノン語やワライ語など他のビサヤ系言語もある 程度理解できるほか、英語やタガログ語もよく通用する。

宗教

セブ島民の主な宗教はローマ・カトリックである。セブの守護聖人は「サント・ニーニョ・デ・セブ」で、 幼いイエス・キリストのことである。

サント・ニーニョの像はフィリピン最古の教会・サント・ニーニョ教会 に安置されているが、この像は探検家・航海者であるフェルディナンド・マゼランがセブに到達したとき、島 の王ラジャ・フマボンの妻に相互の同盟を記念して手渡されたものである。

このとき王とその領民らは洗礼 を受けキリスト教徒になったが、マゼランは直後にマクタン島で戦死した。王たちの洗礼はセブ最大の文化的事件 として地元では受けとめられている。

これを記念した「シヌログ」という祭りはセブ最大の祝祭であり、 ミサの前に通りでは踊りやドラムが打ち鳴らされ、観光客も訪れ大変な賑わいを見せる。

セブはマニラ大司教区の一部であったが、後に独立した司教区を形成している。またサント・ニーニョ教会 のほか、セブ・メトロポリタン・カテドラル、サン・カルロス教会など多くのカトリック教会が立ち並んでいる。

文化

サン・ペドロ要塞

海に面する砦で、スペイン統治時代の1738年、イスラムの海賊からの防御を目的に建造された。マニラの イントラムロスと並びフィリピン最古の要塞である。後のアメリカ統治時代には兵舎として、第2次世界大戦時には日本軍 による捕虜収容所として使用された。

マゼランクロス

マゼランが1521年に造ったといわれる大きな木製の十字架。現在は六角堂に収められている。フィリピンにおけるキリスト教 の第一歩となる。十字架を煎じて飲むと病に効くと信じられ、持ち帰るものが後を絶たなかったため、現在は固い木で作ったカバーに覆われている。