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エジプト

エジプト・アラブ共和国は、中東および北アフリカに位置する共和制国家。首都はカイロ。 アフリカ大陸では北東端に位置し、西にリビア、南にスーダン、北東のシナイ半島ではイスラエル、パレスチナ国・ガザ地区と国境 を接する。北部は地中海、東部は紅海に面している。

エジプトは中東と北東アフリカの接点に存在し、古代文明が存在していた地域のひとつに数え上げられる。その歴史は紀元前の時代 にまで遡るほど古い。民族・宗教的にはアラブ世界、イスラム世界の一国である。

人口はアラブ諸国で最も多く、2020年2月に1億人を超えている。同国地域には数千年前の古代都市の痕跡や幾多もの史跡がナイル川 に沿う形で点在している。

また、水源が乏しい国の一つとしても知られており、南北に流れるナイル川の河谷とデルタ地帯のほかは、国土 の大部分の95%以上が砂漠である。ナイル河口の東には地中海と紅海を結ぶスエズ運河がある。

同国は現在、MENA地域において2番目に人口密度の高い国と見做されており、中でもカイロは世界で最も人口密度の高い都市のひとつ に当たる。

政治

大統領

国家元首である大統領は、立法・行政・司法の三権において大きな権限を有する。また国軍の最高司令官でもある。 大統領の選出は、直接選挙による。任期は4年で、三選禁止となった。最高大統領選挙委員会委員長は、最高憲法裁判所長官が兼任していたが、 現在は副長官がその任を負う。

第2代大統領ガマール・アブドゥル=ナーセル以来、事実上の終身制が慣例で、第4代大統領ホスニー・ムバーラクは1981年の就任以来、 約30年にわたって独裁体制を築いた。

ムバーラクの親米・親イスラエル路線が欧米諸国によって評価されたために、 独裁が見逃されてきた面がある。当時は任期6年、再任可。議会が候補者を指名し、国民は信任投票を行っていた。 ただし、2005年は複数候補者による大統領選挙が実施された。

2011年9月に大統領選が予定されていたが、2011年1月に騒乱状態となり、2月11日、ムバーラクは国民の突き上げを受ける形で辞任した。

翌日より国防大臣で軍最高評議会議長のムハンマド・フセイン・タンターウィーが元首代行を務め、それは2012年エジプト大統領選挙の当選者 ムハンマド・ムルシーが6月30日に大統領に就任するまで続いた。2011年3月19日、憲法改正に関する国民投票が行われ、承認された。

しかしムルシー政権発足からわずか1年後の2013年、軍事クーデターが勃発。ムルシーは解任され、エジプトは再び軍事政権へと逆戻りした。 2014年1月に再び憲法が修正され、同年5月の大統領選挙を経て再び民政へと復帰した。

議会

議会は、両院制で上院は参議院、下院は代議院である。かつて、2014年に施行された憲法により、一院制となったが、2019年の憲法改正に より、両院制に戻る。

参議院は全議席の内、3分の2を公選、3分の1は大統領による指名。代議院は、選挙制度を小選挙区制か比例代表制、またはその混合型と する。全議席の内5%以下を大統領が指名。そして、全議席の少なくとも25%を女性枠とする。

選挙

一度デモとの諍いがあり、死傷者を出した後、議員を総辞職して大統領選挙をやり直したことがある。

政党

2011年3月28日に改正政党法が公表され、エジプトでは宗教を基盤とした政党が禁止された。そのため、ムスリム同胞団などは非合法化され、 初めての選挙では、ムスリム同胞団を母体とする自由公正党が結成された。

2021年現在では、2020年の選挙により国民未来党が 、上院は半数近く、下院は過半数を占めている。しかしながら、反対派の活動が徹底的に排除される中での選挙であった。

政府

首相・ムスタファ・マドブーリー 2018年6月就任。 国防大臣・セドキ・ソブヒィ 2014年3月就任、エジプト軍総司令官。

司法

ナポレオン法典とイスラム法に基づく、混合した法システム。フランスと同じく、司法訴訟と行政訴訟は別の系統の裁判所が担当する。 最高憲法裁判所 - 憲法裁判所で、法律が違憲か否かの最終判断を下す。1979年設立。長官はアドリー・マンスール

ほか、10人の判事は1998年から2013年7月までに着任している。長官は最高大統領選挙委員会 の委員長を兼任していたが、2012年9月には副長官ハーティム・バガートゥーが務めていた。 司法省管轄の一般の裁判所 - 最高裁判所と以下の下級裁判所からなる。

国務院管轄の行政裁判所 - コンセイユ・デタ - 1946年設立。2011年2月19日、従来の政党委員会の申請却下に対する 不服申し立てを認めた形の判決で、政党の許認可を、4月16日、与党・国民民主党(NDP)の解散を裁定した。

国際関係

国力、文化的影響力などの面からアラブ世界のリーダーとなっている。ガマール・アブドゥル=ナーセル時代には非同盟諸国の雄 としてアラブに限らない影響力を持ったが、ナーセル死後はその影響力は衰えた。

イスラエルと積極的に関係を結んでいる。しかしそのため他のアラブ諸国からは敬遠されていた。 その後、1981年にサーダートが暗殺された後に政権を握ったムバーラクは親米路線を堅持する一方、アラブ諸国 との関係回復を進め、1988年にはシリア、レバノン、リビアを除く全てのアラブ諸国との関係が回復した。

以降はアラブの大国として域内諸国と協調する一方、アフリカの一国として2004年9月には国際連合 安全保障理事会の常任理事国入りを目指すことを表明した。2011年、パレスチナのガザの検問所を開放した。また、 イランとの関係を修復しようとしている。

シーシー政権はムスリム同胞団政権時代のこうした外交政策とは一線を画している。欧米や日本、親米アラブ諸国、 イスラエルのほか、中国やロシアなどと広範な協力関係を築いている。

軍事

中東有数の軍事大国であり、イスラエルと軍事的に対抗できる数少ないアラブ国家であると目されている。2010年11月見積もり の総兵力は46万8,500人。予備役47万9,000人。兵員数は陸軍34万人、海軍1万8,500人、空軍3万人、防空軍8万人。内務省管轄の 中央治安部隊、国境警備隊と国防省管轄の革命国家警備隊の準軍事組織が存在する。

イスラエルとは4度にわたる中東戦争で毎回干戈を交えたが、第二次中東戦争で政治的な勝利を得、 第四次中東戦争の緒戦で勝利を収めたほかは劣勢のまま終わっている。

その後は平和条約を交わしてイスラエルと接近し、シーシー政権下ではシナイ半島で活動するイスラム過激派(ISIL)に対する 掃討作戦で、イスラエル空軍による爆撃を容認していることを公式に認めた。

軍事的にはアメリカと協力関係にあるため、北大西洋条約機構(NATO)のメンバーではないものの同機構とは親密な関係を保っている。 また、ロシアや中国からも武器の供給を受けており、中露が主導する上海協力機構にも対話パートナーとして参加している。

地理

アフリカ大陸北東隅に位置し、国土面積は100万2,450㎢で、世界で30番目の大きさである。国土の95%は砂漠で、ナイル川の西側には サハラ砂漠の一部である西部砂漠、東側には紅海とスエズ湾に接する東部砂漠がある。西部砂漠には海抜0m以下という 地域が多く、面積1万8,000km2の広さをもつカッターラ低地は海面より133mも低く、ジブチのアッサル湖に次いでアフリカ大陸で 2番目に低い地点である。

シナイ半島の北部は砂漠、南部は山地になっており、エジプト最高峰のカテリーナ山(2,637m)や、旧約聖書でモーセが十戒 を授かったといわれるシナイ山(2,285m)がある。シナイ半島とナイル河谷との間はスエズ湾が大きく湾入して細くくびれた地峡と なっており、ここがアフリカ大陸とユーラシア大陸の境目とされている。この細い部分は低地であるため、スエズ運河が建設され、 紅海と地中海、ひいてはヨーロッパとアジアを結ぶ大動脈となっている。

ナイル川は南隣のスーダンで白ナイル川と青ナイル川が合流し、エジプト国内を南北1,545Kmにもわたって北上し、河口で広大なデルタ を形成して地中海に注ぐ。

国境

1885年に列強がドイツのベルリンで開いた会議で、それまでに植民地化していたアフリカの分割を確定した。リビア国境の大部分で 東経25度に、スーダンでは北緯22度に定めたため、国境が直線的である。

スーダンとの間では、エジプトが実効支配するハラーイブ・トライアングルに対してスーダンも領有権を主張している。一方、その 西にあるビル・タウィールは両国とも領有権を主張していない無主地である。

気候

国土の全域が砂漠気候で人口はナイル河谷およびデルタ地帯、スエズ運河付近に集中し、国土の大半はサハラ砂漠に属する。夏には 日中の気温は40℃を超え、50℃になることもある。降雨はわずか に地中海岸にあるにすぎない。冬の平均気温は下エジプトで13 - 14℃、上エジプトで16℃程度である。2013年12月にはカイロ市内でも 降雪・積雪があったが、観測史上初ということで注目された。

経済

カイロはビジネス、文化、政治などを総合評価した世界都市格付けでアフリカ第1位の都市と評価された 2018年のエジプトの国内総生産(GDP)は約2,496億ドル、一人当たりでは2,573ドルである。アフリカでは屈指の経済規模 であり、BRICsの次に経済発展が期待できるとされている

NEXT11の一国にも数えられている。しかし、一人当たりのGDPでみると、中東や北アフリカ諸国の中では最低水準であり、トルコの約4分の1、 イランの半分に過ぎず、更に同じ北アフリカ諸国であるチュニジアやモロッコに比べても、水準は低い。

スエズ運河収入と観光産業収入、更には在外労働者からの送金の3大外貨収入の依存が大きく、エジプト政府は、それらの手段に安易に 頼っている。更に政情に左右されやすい。

工業は石油などの資源はないが様々な工業が発展しており今後も成長が見込まれる。近年は情報技術(IT)産業が急速に成長している。 しかしながらGDPの約半分が軍関連企業が占めていて主に農業建築業などの工業を担っている。

金融はイスラーム銀行も近代式銀行の両方とも発達しており投資家層も厚く、アメリカのドナルド・トランプ政権にはエジプトの敏腕 女性投資家が起用されている。

これまでは買い物や公共料金の支払いは現金、送金は窓口での手続きが主流であった。これはチップや喜捨として現金を渡すバクシーシ の習慣が根付いていることも一因としてあったが、電子決済も急速に普及している。

農業

かつては綿花の世界的生産地であり、ナイル川のもたらす肥沃な土壌とあいまって農業が重要な役割を果たしていた。 しかし、通年灌漑の導入によってナイルの洪水に頼ることが減り、アスワン・ハイ・ダムの建設によって、 上流からの土壌がせき止められるようになった。そのため、ダムによる水位コントロールによって農地が大幅に拡大した。

農業生産高が格段に上がったにもかかわらず、肥料の集中投入などが必要になったため、 コストが増大し、近年代表的な農業製品である綿製品は価格競争において後塵を拝している。

また、「アラブの春」により、2012年 ~ 2014年の間は2 ~ 3%台と一時低迷していたが、その後政情の安定化により、2015年には、 4%台に回復している。またIMFの勧告を受け、2016年に為替相場の大幅切り下げや補助金削減などの改革をしたことで、 経済健全化への期待感より、外国からの資本流入が拡大していき、経済の復調を遂げている。

農業は農薬などを大量に使っているためコストが高くなっているが、それなりの食料自給率を保っている。果物は日本にもジャムなどに 加工され輸出されている。

交通

エジプトの交通の柱は歴史上常にナイル川であった。アスワン・ハイ・ダムの建設後、ナイル川の流れは穏やかになり、交通路として 安定性が増した。しかし貨物輸送はトラック輸送が主となり 、内陸水運の貨物国内シェアは2%にすぎない。ファルーカという伝統的な帆船や、観光客用のリバークルーズなどの運航もある。

鉄道

鉄道は、国有のエジプト鉄道が運営している。営業キロは5,063キロにのぼり、カイロを起点としてナイル川デルタやナイル河谷の 主要都市を結んでいる。

航空

航空は、フラッグ・キャリアであるエジプト航空を筆頭にいくつもの航空会社が運行している。カイロ国際空港はこの地域のハブ空港 の一つである。

国民

エジプトの人口は近年急速に増大し続けており、エジプト中央動員統計局(CAPMAS)によると2020年2月11日に1億人を突破した。 年齢構成は0から14歳が33%、15から64歳が62.7%、65歳以上が4.3%(2010年)で、若年層が非常に多く、ピラミッド型の人口構成をしている。

しかし、若年層はさらに増加傾向にあるにもかかわらず、経済はそれほど拡大していないため、若者の失業が深刻な問題 となっており、2011年エジプト騒乱の原因の一つともなった。年齢の中央値は24歳である。人口増加率は2.033%。

民族

住民はイスラム教徒とキリスト教徒からなるアラブ人がほとんどを占める。

言語

現在のエジプトではアラビア語が公用語である。これは、イスラムの征服当時にもたらされたもので、エジプトのイスラム化と同時に普及 していった。ただし、公用語となっているのは正則 アラビア語だが、実際に用いられているのはアラビア語エジプト方言である。

宗教

宗教はイスラム教が90%であり、憲法では国教に指定されている その他の宗派では、エジプト土着のキリスト教会であるコプト教会の信徒が9%、その他のキリスト教徒が1%となる。

婚姻

多くの場合、婚姻時に女性は改姓しないが、改姓する女性もいる。 一夫多妻制により4人まで婚姻できるが、現在は1人と結婚する者が多い。

教育

エジプトの教育制度は、1999年から小学校の課程が1年延び、日本と同じく小学校6年・中学校3年・高校3年・大学4年の6・3・3・4制と なっている。義務教育は小学校と中学校の9年である。1923年のエジプト独立の際、初等教育は既に無料とされ、以後段階的に 教育の無料化が進展した。

1950年には著名な作家でもあった文部大臣ターハー・フセインによって中等教育が無料化され、1952年のエジプト革命によって 高等教育も含めた全ての公的機関による教育が無料化された。

しかし、公立学校の教員が給料の少なさ などから個人の家庭教師を兼任することが広く行われており、社会問題化している。

小学校は進級試験があるため、家庭教師をつけることもある。授業料は無償化しているが、教育費は日本以上にかかる。なお、 高額な授業料の代わりに教育カリキュラムの充実した私立学校も多数存在する。また、エジプト国内に20万以上の小中学校、 1,000万人以上の学生、13の主要大学、67の師範学校がある。

2018年より「エジプト日本学校(EJS=Egypt-Japan School)」が35校、開校した。これは2017年にJICAが技術協力「学びの質 向上のための環境整備プロジェクト」を開始したことに 始まるもので、日本の学校教育で行われている学級会や生徒による清掃などをエジプトの教育に取り入れようとする教育方針である。

試験的に導入した際には文化的な違いから反発も見受けられたが 、校内での暴力が減った、子供が家でも掃除をするようになったなど、徐々に成果が見えるようになり本格的に導入されることになった 。

2005年の推計によれば、15歳以上の国民の識字率は71.4%(男性:83%、女性:59.4%)である。2006年にはGDPの4.2%が教育に支出 された。国立図書館として新アレクサンドリア図書館が存在する。

治安

同国は失業率が高い低中所得国である。2011年1月と2013年6月の政変に伴い、社会・治安状況が不安定化したものの、2014年6月から アッ=シーシー大統領の就任以後、政治プロセスの進展と共に治安対策が強化され、国内情勢は安定を取り戻しつつある。

だが、政府による同国経済を促進する為の努力が現在も続けられている状態にも拘らず、国民の32.5%は極度の貧困の中で生活している。

一方、カイロを含む各地で発生していたデモ及びそれに伴う衝突事案が減少している事が明らかにされているが、テロ事件の発生頻度 は高めとなっている侭である。テロは主に現地警察や教会・モスクを狙ったものが多いが、観光地でも死傷者の出る事件が起きており、十分な注意が必要とされている。

人権

人権団体の報告によれば、2020年1月の時点で同国に約60,000人の政治犯が収容されているとの調査結果がある。 民間人が警察官に取り囲まれて暴行を加えられて死亡したが、家族が訴えた後に自殺に認定された事件がある。

マスコミ

エジプトのメディアは同国内およびアラブ世界で非常に強い影響力を保持している。これは、同国のテレビ関連業界や映画業界ならび 大勢の視聴者がアラブ世界へ供給している為であり、それらが歴史的に長い事も起因している。 また、同国は報道法や出版法およびエジプト刑法に基づき、報道機関を規制ならび統制している現状がある。

文化

ナギーブ・マフフーズは1988年にノーベル文学賞を受賞した古代エジプトの建造物です。ボードゲームやカードゲームの発祥の地としても知られている。 座った時に足を組むと、相手に敵意があると受けとられる。

文学

古代エジプトにおいてはパピルスにヒエログリフで創作がなされ、古代エジプト文学には『死者の書』や『シヌヘの物語』などの 作品が現代にも残っている。7世紀にアラブ化した後もエジプトはアラビア語文学の一つの中心地となった。

近代の文学者としてターハー・フセインの名が挙げられ、現代の作家であるナギーブ・マフフーズは1988年にノーベル文学賞を受賞している。

音楽

エジプトの音楽は隣国に対する何千年にも渡る支配により、その周辺地域へ非常に大きな影響を及ぼしている。たとえば聖書 で「古代ヘブライ人によって演奏された」と主張されている楽器はすべて古代エジプトが起源となっている点が挙げられ、これはエジプト考古学によって確立されたものともなっている。

また、古代ギリシャの音楽の発展に多大な影響を与えている面が あることが確認されている。

宗教音楽においては、ムリッド(mulid)と呼ばれるスーフィーなどの伝統を重んじるイスラム教徒と、コプト派のキリスト教徒 による祭典における重要な部分であり続けている面が窺える。

建築

同国における建築は古代のものが中心に周知されており、現代建築に対してはあまり焦点が当てられていない現状がある。 一方、世界各地において古代エジプトのモチーフとイメージを多用しつつも現代風の仕様を留める建築様式が採用されている。 エジプト国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が6件、自然遺産が1件登録されている。

エジプトの建造物

スポーツ

エジプトはサッカーが国技であり、圧倒的に1番人気のスポーツとなっている。サッカー以外ではスカッシュが盛んで、21世紀 に入ってからワールドオープンで男女ともに多くの優勝者を輩出 している。また、公園が少ないゆえに貧困層は路地でスポーツを楽しみ、富裕層はスポーツクラブで楽しむ。

1948年にプロサッカーリーグのエジプト・プレミアリーグが創設された。同リーグはアル・アハリが圧倒的な強さで支配しており、7連覇を含むリーグ最多42度の優勝を達成している。 アフリカ大陸のクラブ王者を決めるCAFチャンピオンズリーグでも、大会最多10度の優勝に輝いている。

サッカーエジプト代表はFIFAワールドカップには3回出場しているが、いずれもグループリーグ で敗退している。アフリカネイションズカップでは24回出場しており、大会最多7度の優勝を誇る。

国の英雄的な存在には『モハメド・サラー』がおり、イングランド・プレミアリーグで得点王や最優秀選手賞を獲得している。リヴァプールではエースとして、プレミアリーグやUEFAチャンピオンズリーグ 制覇を成し遂げた。

これらの活躍から同国では絶大な人気を誇り、2018年に行われたエジプト大統領選挙では、当選した現職の大統領(92%得票)に次いで2位となる全体の約5%の票(約100万票)が、 立候補すらしていないサラーへ投じられている。