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イスタンブール

イスタンブールは、トルコ最大の都市であり、経済・文化・歴史の中心地。ヨーロッパ有数の世界都市。 トルコ語の発音に準じて「イスタンブル」と表記される場合もある。

イスタンブールの人口は1,410万人を擁しバルカン半島では最大、ヨーロッパでも最大規模の都市圏 (en) の一つで、 イスタンブール市域の人口は世界の大都市の市域人口の上位に含まれている。イスタンブールはトルコに 16ある大都市自治体の1つで5343平方kmの広大なエリアはイスタンブール県と同一の広がりを持ち、イスタンブールは同県の県都である。

海峡の南がマルマラ海で、北が黒海。マルマラ海の北岸、ヨーロッパ側に見える三角形の半島がイスタンブール旧市街で、 海峡から旧市街に切れ込んだ海が金角湾。旧市街から城壁や海を越えて市街地が拡大している。

イスタンブールの気候は改訂されたケッペンの気候区分によれば地中海性気候 (Csa) と温暖湿潤気候 (Cfa) の境界にあたり、 夏の2ヶ月間だけ40mm以下の降水量のため亜熱帯か地中海性の気候か単独で分類されるのが妨げられている。

しかしながら、広大な市域や多様な地形、海辺の場所などイスタンブールでは微気候が見られる。市街の北部は海洋性気候 で表されるが (Cfb)、これは黒海からの湿気や比較的高い植生の密度による。市街南部の人口密集地の気候は暖かく、 湿度の影響を受けにくい。

ファティ地区はオスマンに征服されるまでガラタのジェノヴァ共和国の要塞がある街全体と一致している。 ジェノヴァの要塞は19世紀には街の北側へ市街地を拡大するため大部分が取り壊され、唯一ガラタ塔だけが残っている。 ガラタは現在の行政区ではベイオール地区に含まれ、タクスィム広場周辺部はイスタンブールの商業や娯楽の 中心地となっている。

建築物

アヤソフィア 6世紀に正教会の大聖堂として建てられたが、後にモスクに変わった。現在は博物館 イスタンブールは主としてビザンティンやオスマンの建築物で知られているが、しかしその建物はそれ以前に街を支配した 様々な人々や帝国を反映している。

イスタンブールに現存する最古のオスマン建築にはアナドル・ヒサルやルメリ・ヒサルなどの城塞が含まれ、 コンスタンティノープルの市街をオスマンが包囲する際の助けとなった。

経済

レヴェントのビジネス地区にはイスタンブールの高層ビルが林立する。 2008年現在のイスタンブールのGDPは1,820億ドルで、世界の都市圏の域内総生産では34位に付けている。 イスタンブールはトルコ国内のGDPの27%を占め、国内産業労働力の20%が都市に存在する。

イスタンブールは著名な観光地として観光客数が増加しており、2000年には242万人の外国人観光客が訪れ2010年には 700万人の外国人観光客が訪れており世界で10番目に多くの観光客が訪れる都市である。イスタンブールはトルコの 外国人観光客の4分の1を受け入れ、トルコではアンタルヤに次ぐ国際的なゲートウェイとなっている。

所得分配はイスタンブールでは公平ではなく、20%の最高所得層が64%の資産を利用し 20%の最低所得層が4%の資産を利用している。

金融

バンカラル・カデッシはオスマン期のイスタンブールの金融の中心。右側は1892年に完成した旧オスマン中央銀行本店 イスタンブールは1923年にアンカラが政治的な首都になってからも常に「金融の首都」である。1980年代の特定の 市場開放はさらにこの地位を強化した。

1986年初め発足したイスタンブール証券取引所(ISE)は普通株、国債、 短期国債、収益分配証明書、債券、民営化の管理で発行される債券と社債取引、夜間の業務を行うために設立された トルコでは唯一の証券取引所である。

工業

イスタンブールはトルコの産業の中心で、トルコの労働力の20%を雇用し職場の38%を提供している。これに加えて、 イスタンブールはトルコの貿易の55%と卸売りの45%を生み出し、GDPの21.2%、税収の40%、工業生産額の27.5%に寄与している。 多くのトルコの大きな生産工場はイスタンブールに立地しており、イスタンブールやその周辺部では木綿や果物、 オリーブオイル、絹、タバコなど生産されている。

食品加工、織物製品、オイル製品、ゴム製品、金属製品、皮革、 電機、ガラス、機械、紙や紙製品、アルコール飲料などはイスタンブール市内の主要な工業製品に含まれる。 イスタンブールではまた、自動車やトラックの組み立て工場もある。これらの様々な事業は過去にペンキ工場に 近かったため悪化した2008年の花火爆発事故のような災害にも見舞われている。

医薬産業は1952年にレヴェントにエジザルバシュ医薬品工場が設立され始まった。今日では134の企業が トルコの製薬業界でビジネスを行っており、大部分はイスタンブールかその近郊を基盤としている。

観光

イスタンブールはトルコでも最も重要な観光スポットの1つである。数千ものホテルや他の旅行者中心の産業が イスタンブールにはあり、観光や業務で訪れる両方の旅行者を満たしている。2006年には23,148,669人がトルコを訪れ、 ほとんどはイスタンブールやアンタルヤの空港や港を通り入国している。

イスタンブールのアタテュルク国際空港やサビハ・ギョクチェン国際空港を利用しトルコに入国した観光客は2005年の4,849,353人から翌年には5,346,658人に増加している。 2011年には急成長しているトルコの観光事業により1,050万人に増加している。2011年のイスタンブールの2つの国際空港は5,000万人 以上の旅客を扱っている。

イスタンブールはまた世界の主要な会議の目的地の一つであり、世界有数の国際的な団体や機関にとってはますます 人気のある選択肢となっている。

交通

ファーティフ・スルタン・メフメト橋はボスポラス海峡に架かる吊り橋の一つ イスタンブールの主要な自動車道路にはオトヨル1号線(O-1)、オトヨル2号線(O-2)、 オトヨル3号線(O-3)、オトヨル4号線 (O-4) がある。

イスタンブールの近代的なトラム。1872年に登場した馬車軌道からの長い道程がある。 イスタンブールの公共交通網は路面電車、ケーブルカー、地下鉄路線、路線バス、バス・ラピッド・トランジット、フェリーなど 複合的なシステムで構成されている。5つの路線で構成され、4路線が建設中である。

イスタンブールシーバスは旅客船とカーフェリーを組み合わせボスポラス海峡の両岸やさらには北部や黒海などを結ぶ航路 を運航している。

イスタンブールで国際間の鉄道が開業したのは1889年のことで、ブカレストとシルケジ駅の間でシルケジ駅は遂にはパリからの オリエント急行の東のターミナル駅として有名になった。

民間のバス会社は鉄道網によって提供されるサービースを超えて、代わりにより上手く運営されている。イスタンブールの主要 バスターミナルはヨーロッパ最大で、毎日15,000台のバスと60万人の旅客を扱いトルコ国内や近隣国をはじめ遠くは フランクフルトまで運行されている。

2011年には3,740万人の旅客を扱ったアタテュルク国際空港。長い間イスタンブールのハブ空港であった

イスタンブール空港・・・2018年10月29日に開港したイスタンブールのメイン空港。2019年4月7日より アタテュルク国際空港から全面移転が完了し本格運用開始された。 世界で最も急速に成長している空港としている。

住民

宗教・民族

スルタンアフメト・モスクはイスタンブールでは最大で、トルコ政府宗教局によりイスラム教の祝祭日に祈りが主導される。 イスタンブールは多くの歴史を通じて国際的な都市であったが、オスマン帝国の終わり以来均質化されてきている。

それでもトルコの少数民族のほとんどは集中してイスタンブールに残っている。トルコ国内やイスタンブールの大多数の人たちは 自分たちをムスリムと見なし、より明確にはスンナ派の信徒である。

教育

イスタンブール大学は1453年に創設された、市内にある最古のトルコの教育機関である。元はマドラサで、大学には法律、 医学、科学部門が19世紀に創設されトルコ共和国が建国されてからは宗教から分離された。

イスタンブールの著名な大学には政府の支援があるが、市内には多くの著名な私立の機関もある。最初の近代的な 私立大学としてロバートカレッジは1863年にアメリカからの団体により設立された。

2007年には約4,350の学校があるが、そのうちの半数は小学校で各校平均688人の生徒が在籍する。近年では イスタンブールの教育システムは大幅に拡大してきており、2000年から2007年にかけて学級数や教師の数は 倍近くに生徒の数は60%以上増加している。 イスタンブールの他のいくつかの高校は独自の教育や入学条件を特徴としている。

インフラ

シラフタラガ発電所は現在は美術館で、1914年から1952年の間はイスタンブールの唯一の電力源 イスタンブールの最初の水道システムは街の歴史の初期に遡りヴァレンス水道橋のような水道橋により水は当時街の 多くの貯水池に蓄えられていた。

スレイマン1世の命令によりキクチェシュメ Kırkçeşme 水道網が1563年までに建設され、この水道網は毎日 4,200 立方メートルの水を158箇所に送水していた。

シラフタラガ発電所は金角湾沿いの火力発電所で最初の機関室が完成した1914年から 1952年までイスタンブールの唯一の電力源であった。

1909年に遡る現在のイスタンブールの中央郵便局 オスマンの郵便・電信省は1840年に創設され最初の郵便局である帝国の郵便局はイェニモスクの 中庭近くに開局した。

2000年にはイスタンブールには137の病院があり、そのうちの100は私立の病院であった。トルコの国民は 国営の病院で医療助成が受けることができる。

報道機関

ほとんどの国営のラジオ局やテレビ局はアンカラをベースとしているが、イスタンブールはトルコメディアの最も重要なハブである。 メディア産業のルーツは、オスマン帝国の首都であった時代の1831年に最初にトルコで発行された新聞であるTakvim-i Vekayi にある。ジャガログル通りでは新聞が印刷され、バーブ・アーリ通り Bâb-ı Âli は金角湾を越えた。

イスタンブールを拠点とするザマン新聞は1986年の創刊と歴史が浅いが、トルコでは最も広く流通している新聞 で週に100万部が発行されている。

イスタンブールでのラジオ放送の開始は1927年に遡り、最初のラジオ電波の送信はエミノニュ Eminönü の 中央郵便局の上から行われた。

TRT-Children はTRTのテレビ局で唯一、イスタンブールを拠点としている。それにもかかわらず、 イスタンブールにはいくつものトルコの放送局や国際的な報道機関の拠点が置かれている。

文化

イスタンブールは歴史的に文化的な中心として知られているが、トルコ共和国の中心がアンカラに移ると文化的 なシーンは停滞した。新しい政府はトルコ人に音楽の伝統とくにヨーロッパ由来の音楽に適用させようと 新しい計画を確立したが、音楽の機関や海外の古典音楽の芸術家は主に新しい首都に集中した。

美術館・博物館

19世紀末までにはイスタンブールは都市自体、この地域の芸術の中心としてトルコやヨーロッパ、中東などから街に 芸術家を集めていた。アンカラをトルコの文化の中心として作る努力にも関わらず、1970年代までイスタンブールは トルコの主要な芸術関連の機関が置かれていた。

さらに、1980年代には大学やアートジャーナルが新たに イスタンブールに創設され、以前はアンカラを拠点としていた芸術家が移って来ている。

映画

トルコでの最初の映画上映は少なくとも1896年のユルドゥズ宮殿で、パリで技術が公開された丁度1年後であった。 映画館はベイオールで急速に現れ始め、今ではイスティクラル通りの名で知られる通り沿い映画館は集中していた。 トルコの映画産業は1950年代まで発展は無かったが、イスタンブールは初期のトルコの映画の中心であった。

イベント

文化的な再現と同時にイスタンブールでは文化的な催しが創設され、1973年頃からトルコや世界中から様々な芸術が 披露し始められた。フラグシップとなるイスタンブール国際映画祭やイスタンブール国際ジャズフェスティバル は1980年代初期から行われている。

現在では専ら音楽やダンスだけを中心とした、以前のイスタンブールフェスティバルは1994年以来、 イスタンブール国際音楽祭として知られている。

スポーツ

76,092人の観客を収容可能なアタテュルクオリンピックスタジアムはトルコ最大の多目的スタジアム イスタンブールにはいくつかのトルコで最も古いスポーツクラブがある。ベシクタシュJKは1903年に創設され、数ある クラブチームの中でも最古のものと考えられている。サッカーの他にバスケットボールやF1も人気がある。