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ウィーン

ウィーンは、オーストリアの首都。9つの連邦州のひとつで、都市州である。漢字による当て字では維納と表記される。 2017年1月1日時点での人口は186万7582人。ヨーロッパ有数の世界都市である。

第一次世界大戦までは、オーストリア=ハンガリー帝国の首都として、ドイツ帝国を除く中東欧の大部分に君臨し、 さらに19世紀後半まではドイツ連邦や神聖ローマ帝国を通じて、形式上はドイツ民族全体の帝都でもあった。クラシック音楽 が盛んで、過去にモーツァルトやベートーヴェン、シューベルトなど、多くの作曲家が活躍したことから 「音楽の都」・「楽都」とも呼ばれる。

左のアルプス山脈と右のカルパティア山脈の間を流れるドナウ川のほとりにあるため、交通の要衝でもある 左に国際機関本部の集積地があり、ドナウ川をはさんで旧市街が広がる。 ローマ帝国の宿営地ウィンドボナ をその起源とし、かつてヨーロッパの数か国を支配したハプスブルク家の オーストリア帝国の首都であった。

ウィーンは、そもそもの成り立ちが2つの道が交差するところに生まれた町であった。ドナウ川に沿ってヨーロッパ を東西に横切る道と、バルト海とイタリアを結ぶ南北の道である。 そこはゲルマン系、スラヴ系、マジャール系、ラテン系のそれぞれの居住域の接点にあたり、 歴史的に見ても上述のように、紀元前5世紀以降ケルト人の居住する小村であったところにローマ帝国 の北の拠点が建設されたのが起源であった。

現在のウィーンは、国際機関本部の集積地ともなっており、日本政府も在ウィーン国際機関日本政府代表部を置いている。 市の中央を、北西から南東にかけてドナウ川が横切っている。かつては氾濫を繰り返したこの川は、19世紀に大規模 な治水工事が行われたことでまっすぐな姿になった。

市西部はウィーンの森として知られる森林地帯になっている。散策路が縦横無尽に走っており、市民の憩いの場になっている。 ウィーンの気候はケッペンの気候区分によれば、西岸海洋性気候と湿潤大陸性気候の変わり目に位置する。 夏は適度な暑さで、平均気温は22 - 26℃の範囲で経過。

最高気温は30℃を超えることもあり、最低気温は15℃位である。冬は比較的寒く、平均気温は氷点下付近まで下がる。 12月から3月にかけては降雪も見られる。春や秋はさわやかで、穏やかに経過する。

年間平均降水量は620 mm程度。ウィーンの森がある西側は市内で降水量が多い場所で、年平均降水量が700 - 800 mmになる 。平坦な東側は年平均降水量が500-550 mmと、市内では乾燥した区域である。

ウィーン中央墓地は、帝国崩壊前に人口400万を想定して建設された巨大な墓地である。著名な作曲家の墓は一か所に 集められており、訪れる日本人も多い。ウィーン市が所有しており、全て分譲ではなく賃貸である。

サンクト・マルクス墓地にはモーツァルトが埋葬されているが、遺骨は所在不明のため、 中央墓地に墓碑がある。グスタフ・マーラーの墓は中央墓地ではなく、妻アルマの実家に近い19区のグリンツィング墓地にある。

政治

ウィーンは市であると同時に連邦州である。伝統的にオーストリア社会民主党 (SPÖ) の牙城であり、 市議会でも過半数を握っている。 市長は直接選挙ではなく市議会で選ばれ、現在はミヒャエル・ルートヴィヒである。 元市長のヘルムート・ツィルクは、映画『男はつらいよ 寅次郎心の旅路』に出演するなど親日家であった。

経済

2008年、プライスウォーターハウスクーパースが公表した調査によると、ウィーンの都市GDPは1,220億ドルであり、 世界第50位である。金融業、観光業が盛んで、オーストリアの国内総生産の約5分の1を占める。 1921年に始まり2年に1度開かれているウィーン見本市は、中央ヨーロッパの経済活動に重要な役割をはたしている。 第二次世界大戦後のウィーンを特色づけるのは、外国人観光客の増加である。

観光

宮廷文化の栄えたウィーンは18世紀末から20世紀初頭にかけて、数々の大作曲家の活躍の舞台となった。 また、かつては世界屈指の学問の都であり、特に19世紀末から20世紀初頭にかけて多くの先端的な業績を生み出したほか、 カールス教会など建築分野でも傑作が存在する。

19世紀にはウィーンのカフェ文化は文化生活の中心であった。多くのカフェは当時と変わらぬ姿で多くの観光客 を惹きつけている。

交通

都心から東南東に約20キロメートル離れた、ドナウ川沿いのニーダーエスターライヒ州シュヴェヒャートにある国際空港。 オーストリア航空グループ、ニキ航空、ユーロウイングスがこの空港をベースに多くの路線を開設している。2015年の利用者 数は2,277万5,044人。冷戦期には小さな空港であったが、その後は西欧と東欧、中東を結ぶハブ空港として大きく成長している。

西方のリンツやザルツブルク、そしてドイツ方面を結ぶA1と、南のグラーツやイタリア、スロベニア方面を結ぶA2は 冷戦期に既に開通していた。1990年代になり、ウィーン国際空港まで開通していたA4がブダペストまで延伸された。 またA4から分岐してブラチスラヴァに至るA6が2007年に開通した。

主要幹線はオーストリア連邦鉄道 (ÖBB) により運行されているが、民間の鉄道会社ウェストバーンもウィーンから ザルツブルク方面に列車を運行している。

文化

1365年創立のウィーン大学は現在のドイツ語圏で最古・最大の大学であり、教官や卒業生から11名のノーベル賞 受賞者を輩出している。かつてウィーン大学医学部は医学研究において世界的な中心のひとつであった。

例えば、精神科医のジークムント・フロイトや小児科医のハンス・アスペルガーなどを輩出しており、日本からも斎藤茂吉らが留学している。また世界で初めて胃切除を行ったのもウィーン大学 教授のテオドール・ビルロートで、現代においてもビルロートの方法で手術がなされている。

オーストリア・ブンデスリーガに属しているサッカークラブ、FKアウストリア・ウィーンとSKラピード・ウィーンがウィーン を本拠地としている。

また、オーストリアを代表するスタジアムであるエルンスト・ハッペル・シュタディオンでは、UEFAの5つ星スタジアムとして これまでUEFAチャンピオンズリーグの決勝戦が4度開催された。2008年6月にスイスとオーストリアの共催で開かれたUEFA欧州 選手権2008 (EURO 2008) の決勝戦もここで行われた。

市民の娯楽としてスケートなども盛んであり、冬季は通常のスケートリンク以外に市庁舎前広場にスケートリンクが開場する。 文化